野菜ソムリエになりました!試験結果と反省
どうも、夜中の間食が日課になりつつあるおいたんです。
おかげでお腹まわりに貯金がたまってきて困っています。
「今日は絶対に間食しない!」って誓うくせに気がつくとポテチ頬張ってるのはなぜですかね。
野菜ソムリエ資格取得できた
試験の手応えがあり受かった!と思ったらやっぱりでした。
今日から野菜ソムリエ(旧ジュニア野菜ソムリエ)のおいたんになります!
とは言え結果は思っていたより取れていなかった。
450点以上目指してたから正直残念。
内訳見てみると明らかにベジフル入門ができていない。
思い返せば試験で一番難しかったのがたしかにここだったな。
もう一度しっかりテキスト勉強しなおそう。
今後について
試験を受けてみて野菜とそれを取り巻く環境にとても興味が湧いた。
今は野菜と微塵も接点のない仕事をしているけれど、後々は野菜に関わる仕事をメインに生きていきたいと思っている。
まだ具体的にこれがしたい!ってのはないけれど『野菜や生産者の魅力を発信して就農してる方の儲けをアップできる仕事』ができたらなーととてもフワフワした理想はあります。
やっとスタートラインに立てたので活動についてはブログで逐一アップします。
とは言えユニフォームが届くのが3週間後ということなので少し先になりますが。。。
野菜ソムリエの方どうか友達になってください!
和製グレープフルーツ?!河内晩柑食べてみた。
こんばんは、豆乳が好きなおいたんです。
朝起きたら雪が積もっていてビックリした。
それよりも起きて時間みたら出勤しなきゃならない時間を過ぎていて、そっちの方がビックリした。世間で『遅刻』と呼ばれているやつですね。
風邪っぽいし疲れもたまっていたのでしょう。
そんなコンディションだからか柑橘系が食べたくなり、今回は河内晩柑(かうちばんかん)を買ってきました。
異常に呼ばれ方が多い
スーパーに陳列されていたものの表記は『ジューシーオレンジ』だったのね。
ブログを書くにあたって調べてみたらもの凄く呼び名が多い。
まるで商店街で飼われている猫のようにあちこちで呼ばれ方が違うぞ。。。
『河内晩柑・ジューシーオレンジ・美庄柑・ナダオレンジ・愛南ゴールド・宇和ゴールド・ジューシーゴールド、御荘ゴールド、夏ぶんたん』
たぶん美庄柑のあたりで以降を読むの諦めたでしょ?
わかります。
「こんなに名前必要か?」という疑問を共有したかっただけなので悪しからず。
和製グレープフルーツだった
切った断面をみただけでこれはジューシーなやつや!ってわかるくらい潤ってる。
切っただけでシズル感がでちゃうって凄い!
口に含んで噛んで見るとジュース量が多くてもはやジュースだった(日本語になってますでしょうか?)。
見た目よりも粒が柔らかく、温州みかんを食べている感じ。そのため舌触りはなめらか。
味は程よく甘く淡い渋みがあり、グレープフルーツと温州みかんのいいとこどりって印象。
ジューシーボンバーと名付けたい
そんなに柑橘系の品種を食べていないが、今のところ河内晩柑が一番うまいというか好き。
甘過ぎなくて、ほのかに渋さがあり、ジューシー。
ほら、リッチな大人の味ですよ。
さっき異常に呼ばれ方が多いとバカにしてすいませんでした。
たしかにこんなに美味ければそれぞれ名前もつけたくなりますわ。
てことで私はジューシーボンバーと名付けたい。
ジューシーボンバー見かけたら是非ご賞味を!(勝手に呼び始める)
まるで果物!プレミアムフルティカトマト食べてみた。
スーパーの見切り品売り場をスルーできない、おいたんです。
今日もスルーできずにというかまず見切り品売り場に行きました。
そうしたらおいしそうなトマトあるではありませんか。ほう、300円近くするやつが6割引か。買うしか選択肢がないじゃん。
迷わず買い物かごに入れました。
単純に食べたことのない品種だから好奇心もあった。
トマトの形をしているスイーツ
【香り】
まずびっくりしたのがトマトなのに甘い匂いがするところ。
食べる前にくんかくんか(匂いを嗅ぐ)したのだがトマトの香りじゃなかった。
目を閉じたらフルーツだと思っちゃうよこれ。
口に入れる前にすでにどれくらい甘いかイメージできるほど。
【食感・味】
食感はさくらんぼに似ており、味はさくらんぼといちごの中間くらい。
完全にトマトではないぞこれ。絶対にトマトとさくらんぼのハーフです。
うまいぞ、おい。
見切り品で鮮度が落ちていたせいか皮が固かった。
そのせいもあってか食感はさくらんぼだった。
噛み潰してみると中のジュースが飛び出してきた。
青臭さは全くなく、果肉が多くて中のジュルッとした部分が少なかった。
味は濃くて酸味が少ない。てゆーか甘い。
ショートケーキとか苺大福の苺がフルティカトマトでも私はキレない。
むしろウェルカム。絶対美味しいよ。
トマト嫌いな人におすすめ
青臭い、ジュルッとした感じ、酸味。
トマト嫌いの三大理由だそうです。
このどれもが真逆だった。
青臭さを感じない、果肉が多くゼリー部が少ない、甘い。
トマト嫌いのお子さんや大きいお友達(旦那、妻)に是非ともこれを食べさせてあげてほしい。普通にスーパーで売ってるから。
それにしてもフルーツトマトってこんなに甘いのか、度肝を抜かれた。
野菜っておもしろい!
ブログ名変更しました。
春っぽいことがしたい。
街もテレビもラジオもtwitterもインスタも店のディスプレイも、やたら春めいてる。
おまけに風が強いし花粉もバンバン飛んでいて、あとは桜が咲くのを待つのみ。
学生の時は春になると環境の変化があった。否が応でも。
しかしながら社会に出るとそういうのはなかなかない。
自分で作らない限りないからね、そういう心機一転みたいなの。
クラス替えいやだなーと思いつつプレゼントを開封するみたいにワクワクするあの瞬間。新しい友達ができるかな、恋の予感はあるだろうか。
そういう瑞々しいのいいなーとふと思った。
「春っぽいことなんかしたかな」って考えてみたら春服を一枚買ったことを忘れていた。しっかり春に乗れてるじゃん、て感じていられたのは何を買ったかをはっきりと思い出すまでの数秒間だけだった。
買った服は古着の黒いパーカー。
春の要素が微塵もなかった。というか明らかに逆行している。
もっとこう気持ちを切り替えられることがしたい。
そうして行き着いたのがブログ名変えよう!だった。
おいたんたんたん
今日からこのブログは『おいたんたんたん』になります。
おいたん と たんたん(淡々)をアーン!してできました。(ピo太郎的)
『更新頻度は考えずに気が向いたときに書きたいことを綴っているので、これからも淡々と続けていこう。』
的な姿勢。
ブログ名かえたらなんかすごく春っぽいことした感じがしている。
クラス替えした感じがしている。
なんかワクワクしている。
そして今なんか写真添付するかー思ってみていたらもの凄く春っぽいことしていましたわ。
イチゴ狩り行ってた!!
特別な日だから手料理で。
食べるって栄養補給の手段だけじゃない
母が階段から落ちて入院することになった。
確か、私が小学3年の時。家族で外食に言った時のこと。
そのレストランは少し急な階段を登った先にあった。
帰る時に4つ下の妹が階段から転げ落ちそうになったのを母がかばい転げ落ち、病院に搬送された。
スタントかと思うくらいダイナミックに転げていったわりに、骨折など大きな怪我はなく打撲や捻挫で済んだ。不幸中の幸いだった。
入院中一番影響があったのが食事だった。
父は『THE・昭和の男』って感じで家事がまるでできない人。当然料理なんてできるはずもない。
使命感に駆られて作ったであろう料理?は、パン粉を炒ったみたいにポロポロな卵焼き、煮ただけのわかめ。極限まで水分が抜けてパサパサの焼肉。きゅうりだけのサラダ。
思い出せるのはこれくらい。頑張って作ってくれているのはわかるのだが、お世辞にもうまいとは言えなかった。そして料理一品につき一色しかないことに違和感を感じた。母が作る料理はもっとカラフルだったから。
面と向かってまずいと伝えなかったが態度にわかりやすーく出ていたと思う、小学生だし。
反応をみて料理ができなすぎると父も再確認したのかそれからは買い食いに切り替わった。コンビニとかスーパーで買ったお惣菜や弁当。時々お寿司。
腹は膨れるのだが満たされない。何かが決定的に足りなかった。
この時に『食べるって栄養補給の手段だけじゃない。』と全身全霊で理解した。
「お母さん早く戻ってきて!!!」
マジでそう思った。飢えていた、とても。
特別な日だから手料理で
キッチンにおいしそうな料理の匂いが戻ってきた。
包丁のリズムと皿を準備する際にでる鈴のような音。
待ちきれずにつまみ食いをねだる僕ら小鬼3匹。
二週間近く消えていた生活の灯を母がふっくらと点け直した。
私は。私はだけど、生活の中心は食事にあると思っている。
特に家庭料理を囲む食卓。
先の件を通して当たり前のことがどれだけ特別で贅沢なことなのかを痛感した。
美味しいけど外で食べる料理ほどかしこまっていない。
なによりも家族の好みを把握して作られた料理には気持ちが詰まっている。
その気持ちを五感全てで感じられるのは料理の醍醐味だ。
だから気持ちもお腹も満たすことができる。
誕生日やクリスマス、何かの記念日。
特別感を出そうと出前や外食になるケースが多いかもしれない。
普段行けないような高級なレストランもいいかもしれないけれど、私はなるべく手料理を作って祝うようにしている。
個人的には祝われる側ならば手料理の方が断然嬉しいからだ。
いつもよりも少しだけ気合を入れて。
いつもより心を込めて大切な人のために料理を作る。
特別な日だからこそ手料理で気持ちを食べて欲しいと思う。
p.s.写真はおつまみ用に作ったサラダ。自分へのご褒美ですw
便利さが生み出すリスク
「今出てる車でおすすめある?」
先日、車業界で働いている友人に電話をして聞いた。
私が乗っている車の走行距離は20万kmオーバー。ガタがきまくっていて、さすがに買い替えのタイミングだと悟ったからだ。
せっかく買うなら失敗したくない。長い期間乗る予定だし。
知識のある人の意見を参考に選べば失敗の確率も低くなるだろう。
どんなアドバイスをもらえるかな!と期待を込めて投げた言葉に彼はこう返した。
「乗りたい車に乗ったらいいと思うよ」
彼は続けた。
「例えば俺がオススメしたりレビューが高い車でも乗りたいと思わない車もあるでしょ?スペックうんぬんじゃなくて結局乗りたいかどうかじゃね?」
それを聞いてハッとした。
自分の考えや気持ちを相手に委ねているな、考えることを怠けてるなと気付いたからだ。
これに関連することがある。
それはゲームの進め方が変わったということ。(少なくとも私は)
ネットやスマホゲーが発達するほどに顕著になった。(少なからず私は)
以前は手探りでプレイして失敗しながら、楽しんで進めていた。初代ポケモンなんて特に楽しかった。神ゲーだ。
何に進化するのかを手間暇かけて調べる。ボスを倒せない時は倒せるパーティ編成を考え、知恵を絞って突破する。
時間をかけて自分で見つけたことだから心からワクワクした。楽しい!!って感動できたのだと思う。
今はというとまず攻略サイトに目を通す。敵の行動パターンやクリアの仕方を調べてからプレイする。そのプレイスタイルに慣れてしまっている。(少なくとも私は)
失敗する無駄やクリア時間を短縮できる代償として、考えたり発見する楽しさをなくしてしまった。
これってカンニング癖みたいなものだと思う。
ネットには正解が転がっている。便利な情報がいっぱいだ。
有識者に聞けば間違えるリスクは低い。
失敗は減り無駄は省けるかもしれない。けれど自分で考えることが疎かになる。
それが癖になると、考える前にネットで調べたり人に聞いて解決しようとする。
そして更に考えることから遠くなる。
彼との会話で『便利さが生み出すリスク』に気がついた。
電話を終えてから自分であれこれ調べ、30分後には車を買っていた私。
今の時代便利なものに溢れている。
しかし、便利さに触れる前に自分で考え行動する癖をつけるべきだと痛感しましたとさ。