特別な日だから手料理で。
食べるって栄養補給の手段だけじゃない
母が階段から落ちて入院することになった。
確か、私が小学3年の時。家族で外食に言った時のこと。
そのレストランは少し急な階段を登った先にあった。
帰る時に4つ下の妹が階段から転げ落ちそうになったのを母がかばい転げ落ち、病院に搬送された。
スタントかと思うくらいダイナミックに転げていったわりに、骨折など大きな怪我はなく打撲や捻挫で済んだ。不幸中の幸いだった。
入院中一番影響があったのが食事だった。
父は『THE・昭和の男』って感じで家事がまるでできない人。当然料理なんてできるはずもない。
使命感に駆られて作ったであろう料理?は、パン粉を炒ったみたいにポロポロな卵焼き、煮ただけのわかめ。極限まで水分が抜けてパサパサの焼肉。きゅうりだけのサラダ。
思い出せるのはこれくらい。頑張って作ってくれているのはわかるのだが、お世辞にもうまいとは言えなかった。そして料理一品につき一色しかないことに違和感を感じた。母が作る料理はもっとカラフルだったから。
面と向かってまずいと伝えなかったが態度にわかりやすーく出ていたと思う、小学生だし。
反応をみて料理ができなすぎると父も再確認したのかそれからは買い食いに切り替わった。コンビニとかスーパーで買ったお惣菜や弁当。時々お寿司。
腹は膨れるのだが満たされない。何かが決定的に足りなかった。
この時に『食べるって栄養補給の手段だけじゃない。』と全身全霊で理解した。
「お母さん早く戻ってきて!!!」
マジでそう思った。飢えていた、とても。
特別な日だから手料理で
キッチンにおいしそうな料理の匂いが戻ってきた。
包丁のリズムと皿を準備する際にでる鈴のような音。
待ちきれずにつまみ食いをねだる僕ら小鬼3匹。
二週間近く消えていた生活の灯を母がふっくらと点け直した。
私は。私はだけど、生活の中心は食事にあると思っている。
特に家庭料理を囲む食卓。
先の件を通して当たり前のことがどれだけ特別で贅沢なことなのかを痛感した。
美味しいけど外で食べる料理ほどかしこまっていない。
なによりも家族の好みを把握して作られた料理には気持ちが詰まっている。
その気持ちを五感全てで感じられるのは料理の醍醐味だ。
だから気持ちもお腹も満たすことができる。
誕生日やクリスマス、何かの記念日。
特別感を出そうと出前や外食になるケースが多いかもしれない。
普段行けないような高級なレストランもいいかもしれないけれど、私はなるべく手料理を作って祝うようにしている。
個人的には祝われる側ならば手料理の方が断然嬉しいからだ。
いつもよりも少しだけ気合を入れて。
いつもより心を込めて大切な人のために料理を作る。
特別な日だからこそ手料理で気持ちを食べて欲しいと思う。
p.s.写真はおつまみ用に作ったサラダ。自分へのご褒美ですw