便利さが生み出すリスク
「今出てる車でおすすめある?」
先日、車業界で働いている友人に電話をして聞いた。
私が乗っている車の走行距離は20万kmオーバー。ガタがきまくっていて、さすがに買い替えのタイミングだと悟ったからだ。
せっかく買うなら失敗したくない。長い期間乗る予定だし。
知識のある人の意見を参考に選べば失敗の確率も低くなるだろう。
どんなアドバイスをもらえるかな!と期待を込めて投げた言葉に彼はこう返した。
「乗りたい車に乗ったらいいと思うよ」
彼は続けた。
「例えば俺がオススメしたりレビューが高い車でも乗りたいと思わない車もあるでしょ?スペックうんぬんじゃなくて結局乗りたいかどうかじゃね?」
それを聞いてハッとした。
自分の考えや気持ちを相手に委ねているな、考えることを怠けてるなと気付いたからだ。
これに関連することがある。
それはゲームの進め方が変わったということ。(少なくとも私は)
ネットやスマホゲーが発達するほどに顕著になった。(少なからず私は)
以前は手探りでプレイして失敗しながら、楽しんで進めていた。初代ポケモンなんて特に楽しかった。神ゲーだ。
何に進化するのかを手間暇かけて調べる。ボスを倒せない時は倒せるパーティ編成を考え、知恵を絞って突破する。
時間をかけて自分で見つけたことだから心からワクワクした。楽しい!!って感動できたのだと思う。
今はというとまず攻略サイトに目を通す。敵の行動パターンやクリアの仕方を調べてからプレイする。そのプレイスタイルに慣れてしまっている。(少なくとも私は)
失敗する無駄やクリア時間を短縮できる代償として、考えたり発見する楽しさをなくしてしまった。
これってカンニング癖みたいなものだと思う。
ネットには正解が転がっている。便利な情報がいっぱいだ。
有識者に聞けば間違えるリスクは低い。
失敗は減り無駄は省けるかもしれない。けれど自分で考えることが疎かになる。
それが癖になると、考える前にネットで調べたり人に聞いて解決しようとする。
そして更に考えることから遠くなる。
彼との会話で『便利さが生み出すリスク』に気がついた。
電話を終えてから自分であれこれ調べ、30分後には車を買っていた私。
今の時代便利なものに溢れている。
しかし、便利さに触れる前に自分で考え行動する癖をつけるべきだと痛感しましたとさ。